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前回書いた久米社長の“メール道”の考えを出来るだけ自分のものにしようと必死に取り組んでいますが、
やはりすぐに身に取り込むのは難しい。。。

やればやるほど難しいなぁ思うのが、
メールと言う“文章のコミュニケーション”に、いかに『プラスの感情を乗せれるか』というところ。

人と人とがFace To Faceで行うリアルなコミュニケーションはそれなりに行えてるつもりなんだけど、
なぜメールとかブログとかだと、急に難しくなるんでしょうか?


と言うことで“コミュニケーション”を分割して考えてみた。

リアルなコミュニケーション
    ⇒ 【表情の伝える要素】【声色が伝える要素】【文章が伝える要素】

ネットでのコミュニケーション
    ⇒ 【文章が伝える要素】


要素分けするとこんな感じでしょうか?
こんな風に分解できると考えたら、リアルなコミュニケーションの優位性がはっきり判る気がします。
結局、文章以外の要素が人と人との関係を円滑に持っていく要素なんでしょうね。

つまりは、上に書いた【表情】と【声色】に含まれていた要素をいかにして【文章】に加えて伝えるか、
これがメールや掲示板を含んだネットでのコミュニケーションを円滑にする大事な要素なんでしょうねぇ。



そんなわけで、ネットでのコミュニケーションに関したことを書いてる気がしたブログを。
最近読んだ記事で面白いなぁと感じた2つをピックアップ。



[WEB]嫌がられているのは、「あなたの運転マナーの悪さ」です。 - 琥珀色の戯言

「はてなブックマークで誹謗中傷ばっかりしている人」(「あたまがわるい」とか「これはひどい」ばっかりの人)に関する嫌悪感を誰かが指摘した場合、ネガティブブックマーカーたちの言い分って、「それがインターネットというものだ」「批判される覚悟もないなら書くな!」っていうのがけっこう多いですよね。

 でもさ、それって、「公道でそんな危険な運転はやめてくれ」と注意されたヤツが、「今の世の中、車が無かったら社会は成り立たないだろ!」とか「お前も車に乗ってるんだろ!」とか言い返してくるようなものじゃないのかな。

 意図的に問題をすり替えているのか、周りが見えなくなっているのかはわからないけれど、嫌がられているのは「車社会」ではなくて、「あなたの運転マナーの悪さ」です。

 初心者マークつけてる車を追いかけまわして、「公道の厳しさを教えてやるぜ!」って威張るのは、そんなに気持ち良いのですか?




間違ってる人に「それ、違いますよ」と指摘してはダメなのか? - takoponsの意味

何かを誤解してる人に対して「それは違うのでは?」と指摘すると、「俺は初心者なんだから大目に見ろ」「俺は普通の一般人なのだから、そんな小難しい話は知らん」「オタクの議論など聞きたくない」と逆に文句を言われてしまう問題

例えば、

公道で危険な運転をしている初心者ドライバーがいて、その危なっかしい様子を見ていた運転歴30年のベテラン・ドライバーが初心者に対して、「ユーの運転ドライブわ~危険が危ないヨ!」と注意したとします。*1

すると、

「公道でそんな危険な運転はやめてくれ」と注意された初心者が、「今の世の中、車の知識なんて必要ないだろ!」とか「お前は車マニアだろ!」とか「自分は普通の一般ドライバーなんだから、いちいち文句を言うな!」とか言い返してくるのが問題ぢゃないのかな。

*1:♪ユーの運転ドライブわ~危険が危ないヨ!って、ラップ調で言えるかも?



正直、fujiponさんの書いた比喩が適切かどうかはわかりません。
けど、この際それはどうでもいいとして、
ここで大事だと思ったのは『発信の仕方』。

自分は、
『間違ってる人に「それ、違いますよ」と指摘する行為』は間違っちゃいないし、
『「公道の厳しさを教えてやるぜ!」って威張る』はどう考えたって間違ってると思います。

ただそれよりも重要だと思うのが、読み手に伝わった内容が書き手の意図した方向か?ってところ。


叩こうと思って書いていて、fujiponさんの書いているような「行動の厳しさを教えてやるぜ!」的なものを書く。
これっていたって普通ですよね。問題があるとしたらそういうことをしている人の人間性が崩壊してるんだろうなってことぐらい。
相手に意図したとおりに伝わっているなら、それはコミュニケーションの発信だけを捉えると成功なのかなと。
(発信してる人には大いに問題ありますけど)

けど、やさしく導いてあげようと手を差し伸べているのに「嫌がられる」「虐げられる」「意図したように伝わっていない」、
なんてことがあったら、『それってちゃんと発信できてるの?』って疑わないといけないですよね。


一時期(いまでもか?)mixiでも、
コミュニティのトピック内でのちょっとした言葉の揚げ足取りからケンカになっているのを見ましたが、
実際、リアルな世界で話している文章を単純に文章化しちゃうと、感情のない冷たい文章になったり。



昔は本とか手紙とかぐらいでしか”文章で何か感情を伝える”って行為が今よりも少なかったから、
本を書いたり、ラブレターを書いたり、っていう特殊なタイミングがない限りはこういう点で悩むことは少なかったのかもしれないけれど、
ネットでのコミュニケーションが主要なコミュニケーションの手段に挙げられるようになった今、
この“文章でのコミュニケーション”って重要な要素として認識して、逆に利用していかないといけないのかなぁと、
そういうことをまじめに考えていかないといけないんじゃないかなぁと、
そんなことを思いました。

そして、この乱文駄文がちゃんと読む人に伝わるのかなぁと思い悩んでいる次第です。




【よだん】

関係ないけど、takoponsさんの書いてる、


もし、指摘するほうが悪いのであれば、何かを誤解している人は一生間違ったままでいればいいし、一生涯、周囲に誤謬を振りまき続けていればいいと思う。

間違ってる人に「それ、違いますよ」と指摘してはダメなのか? - takoponsの意味



この意見には非常に納得。

自分の場合は、
・自分が本当に正しいと思っている内容で、
・相手が明らかに間違っていて、
・「この人のために正してやりたい!」って思える相手

でない限りはとやかく言うのをやめています。
だってどうでもいい人とかだったら、別にその人が成長しようが成長しまいが自分にはなーんにも関係ないし。
別にその人が下の下にいようと知ったこっちゃない。
そんなわけで、本当に「高めあいたい」「変わってほしい」って思える人しか相手にしないようにしています。

…性格悪いのかなぁ。

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